畿内説、九州説、百花乱立の邪馬壹國の比定地 過去の考古学、民俗学の定説に囚われ過ぎているのか プロの歴史学者も、アマチュアの歴史愛好家も 迷宮を彷徨う 魏志倭人伝の呪縛の29文字 南至投馬國 水行二十曰 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 もし、二十日 十日 一月の記述が無かったならどうだろう 2015年、今、邪馬壹國の比定をGoogle Mapsから試みた


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40.仮説

捏造・改竄・誤謬である。古代文献を研究する専門家の中には、記述内容の理解が困難になると安易に、捏造、改竄、誤謬であると考察する方がいらっしゃいます。これはいかがなものかと思います。

合理的な解釈を継続して試みるべきです。記述の解釈に矛盾が生じた場合は、仮説を設定し検証すれば良いのです。
ある記述Aを解明するために、仮説Bを設定したとします。この検証には、他の記述、あるいは公知の事実(定理)から仮説Bが成立するか、しないかを考察するのが検証です。

仮説Bの検証のために、新たな仮説Cを設定する手法をとる研究者の方がいます。そして仮説Cの検証を行い、仮説Cは正しいと結論します。しかし飛躍して仮説Cが成り立つから、仮説Bも成り立つと考察しようとするのです。
これば誤魔化しであり詭弁です。仮説Cが正しくても仮説Bの検証には寄与しないからです。

例を示します。魏志倭人伝の以下の考察です。

* 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月

記述A 投馬國から邪馬壹國水行10日、陸行30日

仮説B 水行10日した後、陸行30日するのではなく、水行+陸行を繰り返し、全行程を合計すると水行10日+陸行30日である
仮説C 起点は投馬國ではなく、帯方郡
仮説D仮説E ....

全行程


* 南至 投馬國 水行二十日。
  南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月


記述A 不彌國からに行くと投馬國に至る。投馬國からに行くと邪馬壹國

仮説B この二つの記述のは、の誤り
仮説C 邪馬壹國にある一大率は、西の誤り
仮説D 陸行30日は。。。

  九州北の海岸から奈良県桜井市への船での最短経路は、関門海峡を南下し、瀬戸内海を東上して大阪湾に到達します。その後大和川を遡上して、大阪府柏原市に行くのが船での最短ルートです。水行20日+10日で30日。九州北の海岸から30日かけて水行します。次は柏原市から陸行して桜井市までいきます。しかし、柏原市から桜井市までは、直線距離で僅か20kmなのです。20kmを陸行30日で行くことを説明するには、新たな仮説が必要となります。

東


どちらの例も記述Aに対する仮説Bの証明が出来ていないのです。
仮説Bの検証を行うと多くの矛盾が発生します。本来は記述Aを説明するために仮説Bを設定したのですが、更なる矛盾に対して、次々に新たな仮説を設定していきます。残念なことに、新たな仮説は証明できないまま放置されているのです。いくら長々と知識を披露しても、仮説が正しいとの結論に至らないのであれば、その考察は一切仮説Bの証明にはなっていないのです。
中学校の数学の証明問題で、このような解答をしたならば、長文の回答であることに対して努力点はもらえるでしょうが、設問に対する解答としての評価は低いと思います。
どこが良くなかったのか。中学校の数学の先生であれば、間違いを指摘することが出来ます。
仮説を立てたことは正しく、検証の方法もそれほど悪くないのです。単に結論が誤っているだけなのです。いろいろ検証しても仮説Bの証明は出来なかったのです。従って結論は、「仮説Bは正しくなかった」とするのが正解なのです。

魏志倭人伝邪馬壹國の比定地の考察にあたり、他の仮説はないのでしょうか。
以下の記述を考察します。

南至 投馬國 水行二十日
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月


記述A 不彌國から南に水行20日すると投馬國に到達する。
    投馬國から南に水行10日、陸行30日すると邪馬壹國に到達する。

仮説は既成概念に囚われることなく自由に設定できます。滑稽無類・荒唐無 稽・笑止千万であっても全く構わないのです。検証の結果、仮説に多くの矛盾が生じれば、仮説が間違っていると結論付ければ良いのです。

仮説B
 20日、10日、1月の記述は誤り。記述を無視する。
あるいは
 20日、10日、1月の記述は移動の日数ではない。1日の移動距離をと仮定し、20日、10日、1月をそれぞれ20X里、10X里、30X里と仮定する。

このような仮説Bを立てて、検証したらいかがでしょうか。

南至 投馬國 水行
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行 陸行


20日、10日、1月を無視した仮説Bを立てます。

日数を無視して魏志倭人伝全体の記述を検証し、矛盾なく邪馬壹國の位置が比定出来たとすれば、その比定地は、仮説Bの元、正しいことになります。「20日、10日、1月は、所要日数ではない」とした仮説Bは確からしいことになるのです。
もし魏志倭人伝の記述を検証してみて、X=A里とするのが最も矛盾がないとの考察に至れば、X=Aは確からしいことになるのです。

命題は、数学的な証明問題なのです。中学の数学の証明問題の解法を押さえず、自説を主張するのは、自らの不勉強を誇張しているように思えます。


一方で魏志倭人伝の記述に対して、の使節団は邪馬壹國を訪問していない。従って邪馬壹國の記述は現地人の伝聞によるもので、曖昧である。と明言する専門家の方がいらっしゃいます。論理に無理があると思います。

魏志倭人伝を含む三国志は、中国・西晋代陳寿により撰集された文書です。陳寿は、蜀漢西晋に仕えた官僚なのです。三国志は、公費を使って撰集された公式文書です。公式文書である以上、記述の一つひとつは、十分に吟味され精査されて記述されているのです。もし曖昧な部分があれば、撰者達は厳しい叱責を受け、懲罰を受けるのです。撰集にあたっては、記録書、報告書などの文書と、官僚、関係者からの伝聞を元にして撰集されたと思われます。つまり、多くの記述は伝聞を元に記述されているのです。どうしても曖昧な記述をせざるを得ない場合は、「曰」と断って記述をしているのです。

書曰  書曰く
評曰  世評曰く


邪馬壹國の記述には、書曰、評曰の注釈はないのです。三国志のなかで、邪馬壹國の記述だけが曖昧であり、正しくないと主張するのは無理筋と思われます。

さて、梁書に記述されている扶桑國の比定は、依然考察中です。
考察でき次第、ご紹介することにします。


(つづく)
不定期、週末更新予定



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