畿内説、九州説、百花乱立の邪馬壹國の比定地 過去の考古学、民俗学の定説に囚われ過ぎているのか プロの歴史学者も、アマチュアの歴史愛好家も 迷宮を彷徨う 魏志倭人伝の呪縛の29文字 南至投馬國 水行二十曰 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 もし、二十日 十日 一月の記述が無かったならどうだろう 2015年、今、邪馬壹國の比定をGoogle Mapsから試みた


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39.大漢國

前回、梁書文身國伝に記述されている文身國は、岡山県東備地域であると比定しました。備前の国の東側です。

今回、梁書大漢國伝に記述されている大漢國の比定地を考察した結果、愛知県名古屋市を含む尾張地域であると憶測するに至りました。

大漢國伝の記述は以下です。

大漢國在 文身國東五千餘里

大漢國は、文身國の東5000里に在る。

文身國岡山県東備地域であると比定しましたが、代表地を瀬戸内市役所と仮定します。1里=53.3mと仮定します。瀬戸内市役所から東の方位、5000里=267kmを見てみます。

5000里

三重県志摩半島愛知県尾張地方が該当します。古代から文明は大きな河川の流域で発祥し、都市が発達してきました。濃尾平野がこの地域の最大の河川の流域です。従って大漢國の比定地は、木曽川流域名古屋市を含めた愛知県尾張地方と憶測するに至りました。

大漢國



邪馬壹國文身國大漢國を地図に示しました。

大漢國2

次回は難解な扶桑國を考察してみます。扶桑國大漢國の東側に在ったとのではと、憶測しています。



(つづく)
不定期、週末更新予定

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