畿内説、九州説、百花乱立の邪馬壹國の比定地 過去の考古学、民俗学の定説に囚われ過ぎているのか プロの歴史学者も、アマチュアの歴史愛好家も 迷宮を彷徨う 魏志倭人伝の呪縛の29文字 南至投馬國 水行二十曰 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 もし、二十日 十日 一月の記述が無かったならどうだろう 2015年、今、邪馬壹國の比定をGoogle Mapsから試みた


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20.「里」と「日」の換算

魏國の距離の単位「里」倭人の距離の単位「日」との換算値は、魏志倭人伝の以下の記述に筆者が示したと推測しました。

魏志倭人伝
女王國 東渡海千餘里 復有國 皆倭種
又有 侏儒國在 其南人長三四尺

去女王四千餘里
 
又有 裸國 黒齒國 復在 其東南 船行一年可至


しかしこの文章は曖昧です。4000里がどちらにも係るので、裸國、黒歯國は、女王國(邪馬壹國)から4000里とも解釈できますし、侏儒國女王國から4000里とも解釈できます。
水行20日、水行10日、陸行1月と記述したので、筆者は裸國、黒歯國は、女王國から4000里と表現し、4000里=1年と換算値を記述したと推測するのですが。

侏儒國、裸國、黒齒國の位置関係は、後漢書、梁書、南史、通典にも記述されていますので考察してみます。
考察にあたり、各書籍の原文は以下のウエブサイトから引用させていただきました。責任者の方には、大変感謝いたします。

ALEXの寓居 
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/genkan/index.html

後漢書 
自女王國東 度海千餘里 至拘奴國 雖皆倭種 而不屬女王 
自女王國南 四千餘里 至朱儒國 人長三四尺 
自朱儒 東南行船一年 至裸國 黒齒國 
使驛所傳、極於此矣


後漢書倭伝拘奴國に関する記述は、魏志倭人伝の以下の記述に準拠していると推測します。

其南有狗奴國 男子爲王 
其官有 狗古智卑狗 不屬女王


後漢書倭伝は、魏志倭人伝の引用に終始していると憶測します。ただ水行20日、水行10日、陸行1月を含めた邪馬壹國への行程の記述はありません。後漢の時代は使節団を女王國に派遣していないため、行程を記述しなかったと推測します。筆者は、倭人の距離の単位が「日」であることを考察しなかったと憶測します。したがって去女王4000里朱儒國に係ると解釈したと推測します。

梁書
其南 有侏儒國 人長三四尺
又南 黒齒國 裸國 去倭四千餘里 船行可一年至


黒齒國 裸國は、去倭四千餘里 船行可一年至と 倭國(祁馬臺國)からの距離を示す「里」「日」の記述を連続させ、4000里=1年を明確化しています。
祁馬臺國の記述は、魏志倭人伝を踏襲しています。帯方郡から祁馬臺國への行程は魏志倭人伝の記述を十分考察したと憶測します。對馬國が省略されていますが。水行20日、水行10日、陸行1月も、有意義と判断したと憶測します。

從帯方至倭 循海水行 
歴韓國 乍東乍南 七千餘里
始度一海 
海闊千餘里 名瀚海 至一支國
又度一海千餘里 名未盧國 
又東南陸行五百里 至伊都國 
又東南行百里 至奴國 
又東行百里 至不彌國 
又南水行二十日 至投馬國 
又南水行十日 陸行一月日 至祁馬臺國 即倭王所居


梁書倭國伝では、行程は 又+方位+手段+距離+至 で統一して記述されており、魏志倭人伝の記述の曖昧さが排除されています。
陸行1月をあえて「1月日」と記述し倭人「日」を距離の単位としていたことを強調したと憶測します。
梁書が執筆されたの時代、倭人が距離の単位として「日」を使っていたことが、修史に携わった官吏達の共有見解であったと憶測します。

梁書は、大変興味深い書籍です。倭國の東側に文身國、大漢國、扶桑國、女國があったと記述されています。これらは、中国、四国、近畿地方に比定できるのではと憶測します。これについては、いづれ改めて解読してみたいと思います。

南史
其南 有侏儒國 人長四尺 
又南 有黒齒國 裸國 去倭四千餘里 船行可一年至


南史倭國伝は、修史された時期が梁書と同じで、記述は梁書倭國伝を踏襲しています。人長が三四尺から人長四尺に変わっていますが。
の時代の620-660年には、梁書、陳書、北斉書、周書、隋書、南史、北史が相次いで修史されています。列伝に、倭國伝があるのは、梁書、随書、南史、北史です。侏儒國、黒齒國、裸國について記述があるのは、梁書南史です。一方、随書北史には、一字違わず以下の文章が記述されています。

随書 北史
夷人不知里數 但計以日 
其國境 東西五月行 南北三月行 各至於海


倭人を含めた夷人は、距離は「里」ではなく「日」を単位としていると記述されています。
4000里=1年の換算値が認識されていたと憶測します。

中国での距離の単位「里」の基準(1里=53.3m)は、ある時変わったと憶測します。そのため、各書籍の郡から邪馬壹國への距離は魏志倭人伝の記述を引用していますが、修史する時代により注釈を入れたと憶測します。

魏志倭人伝
自郡至女王國 萬二千餘里 

梁書倭國伝
去帯方 萬二千餘里 

北史倭國伝
又云 去樂浪郡 境及帯方郡 並一萬二千里 

随書倭國伝
古云 去樂浪郡 境及帯方郡 並一萬二千里 

1里の長さの基準は、南北朝からの時代の頃に変更されたと憶測します。そのため北史倭國伝、隋書倭國伝には、又云、古云の注釈が付いたと憶測します。

通典 
又千餘里 至侏儒國 人長三四尺 
自侏儒 東南行船行一年 至裸國 黒齒國 
使驛所傳、極於此矣


通典倭國伝は、梁書南史を踏襲せず全文後漢書を引用しています。ただ、侏儒國女王國から1000里に変わっていますが。
通典が修史された766-801年には、620-660年に一連の歴史書籍の修史を指示した皇帝一族は失脚していて、別の一族が皇帝についた。620-660年に修史された書籍は否定された。そこで通典後漢書を踏襲したと憶測します。

女王國、侏儒國、裸國、黒齒國の記述を表にまとめてみました。

換算11

(つづく)
不定期、週末更新予定

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