畿内説、九州説、百花乱立の邪馬壹國の比定地 過去の考古学、民俗学の定説に囚われ過ぎているのか プロの歴史学者も、アマチュアの歴史愛好家も 迷宮を彷徨う 魏志倭人伝の呪縛の29文字 南至投馬國 水行二十曰 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 もし、二十日 十日 一月の記述が無かったならどうだろう 2015年、今、邪馬壹國の比定をGoogle Mapsから試みた


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01.魏志倭人伝の解釈の錯綜

邪馬壹國の位置に対する見解が、何故これほど錯綜しているのか。
諸説を解析した結果、魏志倭人伝の以下の記述に起因することが分かりました。

南至投馬國 水行二十曰
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月


平易に読むと、20日+10日+1月=2月となります。
1日の移動を20kmとだいぶ短く見積もっても、2月で1200km。
博多湾を起点とすると
盛岡、弘前、ウラジオストック、天津、南京、台北、石垣島、小笠原諸島が1200kmの範囲になります。

博多湾から12000km


全く辻褄が合わないのです。
筆者が意図した罠なのか、あるいは公知の虚偽なのか。
この記述を解読するには、仮説を提案し立証せざるを得ないのです。

諸研究者方が提案された仮説を分類すると、以下に集約されると思います。
  1.1日の移動距離を短くする。
  2.起点は不彌國ではなく、別の場所であったとする。
  3. 投馬國→邪馬壹國の連続ではなく、
    A地点→投馬國。A地点→邪馬壹國とする。
  4.水行10日あるいは陸行1月と、連続ではないとする。
  5.1-4の組み合わせ。
  6.その他
  7.20日、10日、1月を考慮しない。

初心者にとって取り組みやすいのは、7だと思いました。
1-4は多くの研究者方が、考察、検証をされましたが、まだ定説には至らないのです。

一方、7の仮説の立証は容易です。
20日、10日、1月を考慮せず、邪馬壹國の位置を比定し、
魏志倭人伝全体の記述と整合性が成り立つなら、
仮説が立証出来たことになるからです。
既に一部の研究者の方々は、7を立証されているようです。
諸先輩方の歩まれた道を、私も検証していきたいと思います。

7の仮説を取りますので、記述は以下のように書き変えて、解読することにします。

「南水行 至投馬國」
「南水行陸行 至邪馬壹國 女王之所都」


また、以降の記事で見解を表現する言葉は、次のように定義します。
断定 = 魏志倭人伝、および三国志(魏志、呉誌、蜀誌)の記述に
    基づき、正しいと結論したこと。
推測 = 魏志倭人伝、および三国志の記述に基づき、可能性があると
    結論したこと。
憶測 = 仮説、もしくは他の文書に基づき、可能性があると
    結論したこと。

(つづく)
不定期、週末更新予定



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