畿内説、九州説、百花乱立の邪馬壹國の比定地 過去の考古学、民俗学の定説に囚われ過ぎているのか プロの歴史学者も、アマチュアの歴史愛好家も 迷宮を彷徨う 魏志倭人伝の呪縛の29文字 南至投馬國 水行二十曰 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 もし、二十日 十日 一月の記述が無かったならどうだろう 2015年、今、邪馬壹國の比定をGoogle Mapsから試みた


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15.投馬國

いよいよ呪縛の水行、陸行、20日、10日、1月の箇所になります。
まずは20日、10日、1月を考慮せず行程を解読していくことにします。

不彌國(筑紫野市 荒船神社)に到着した使節団は、前日予め手配された女王國の小型帆掛け船に乗り込みます。帆船の航海士、一部の護衛係は帆船と共に末廬國に待機したままですが、残りの使節団15名ほどは、女王の都、邪馬壹國を目指したと憶測します。進貢は木箱20個以上です。帆掛け船は5艘くらい準備されたと憶測します。使節団は帆掛け船に乗り込み、午前12時頃次の経由地、投馬國に向かったと憶測します。

魏志倭人伝の記述は以下です。

南至 投馬國 水行二十日

20日を考慮しないので、以下に読み替えて解読します。

南水行 至 投馬國

不彌國(筑紫野市 荒船神社)から宝満川を下った河岸に投馬國があったと憶測します。

投馬國11


ここでは投馬國の国邑は、小郡市役所にあったと設定します。不彌國(筑紫野市 荒船神社)から投馬國(小郡市役所)まで、直線距離で11kmになります。

投馬國12

宝満川筑紫平野を蛇行しながら、筑後川に合流していたと憶測します。直線距離は11kmでも、水行距離は12kmくらいはあったと憶測します。
博多湾から那珂川を遡上した場合と違い、荒船神社から小郡市役所へは、宝満川の下りですが、それでも船頭による櫓漕ぎに変わりは無く、時速3kmくらいで水行し午後4時頃投馬國(小郡市役所)に到着したと憶測します。

240年○月1日午前6時 帯方郡 (開城) 発 
240年○月6日午後4時 狗邪韓國 (巨済島)
 船行5泊6日。航海距離650km。

240年○月7日午前0時 狗邪韓國 (巨済島) 発 
240年○月7日午後7時 對馬國 (厳原港)
 船行19時間。航海距離110km。

240年○月8日午前6時 對馬國 (厳原港)
240年○月8日午後5時 一大國 (郷ノ浦港)
 船行11時間。航海距離 65km。

240年○月9日午前6時 一大國 (郷ノ浦港)
240年○月9日午後5時 末廬國 (福岡市西区田尻)
 船行11時間。航海距離 65km。

240年○月10日午前6時 末廬國 (糸島市波多江)
240年○月10日午後1時 伊都國 (春日市役所)
 陸行7時間。陸行距離 26km。

240年○月11日午前8時 伊都國 (春日市役所)
240年○月11日午前9時30分 奴國 (筑紫野市役所)
 陸行1.5時間。陸行距離 5.8km。

240年○月11日午前10時 奴國 (筑紫野市役所)
240年○月11日午前11時 不彌國(筑紫野市 荒船神社)
 陸行1時間。陸行距離 3.8km。

240年○月11日午前12時 不彌國(筑紫野市 荒船神社)
240年○月11日午後4時 投馬國(小郡市役所)
 水行4時間。水行距離 12km。




(つづく)
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