畿内説、九州説、百花乱立の邪馬壹國の比定地 過去の考古学、民俗学の定説に囚われ過ぎているのか プロの歴史学者も、アマチュアの歴史愛好家も 迷宮を彷徨う 魏志倭人伝の呪縛の29文字 南至投馬國 水行二十曰 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 もし、二十日 十日 一月の記述が無かったならどうだろう 2015年、今、邪馬壹國の比定をGoogle Mapsから試みた


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38.文身國(3)

梁書に記述されている文身國、岡山県東備地域(備前市、瀬戸内市、赤磐市、岡山市(御津、上道)、和気町、吉備中央町(加茂川))日笠川、もしくはその下流の吉井川沿いに在った、と憶測するに至りました。

文身國11

梁書文身國には以下の記述があります。

・文身國在 倭國東北七千餘里
 ・繞屋爲壍 廣一丈 實以水銀


 ・文身國は、倭國(邪馬台國)の東北7000里373km)に在る。
 ・家の周りに巾1丈の溝をめぐらせ、水銀で満たした。

文身國には自然水銀鉱山があったと憶測します。
1里53.3mと仮定しました。再び邪馬台國八女市)から東北7000里373km)地点を見てみます。

7000里

全国の水銀鉱山の分布図を見てみます。図は以下のサイトから拝借しました。

山口大学工学部 学術資料展示館
http://www.msoc.eng.yamaguchi-u.ac.jp

水銀鉱山

373km地点に該当する水銀鉱山は以下の2地点です。
 ・和気鉱山岡山県和気郡和気町藤野
 ・由岐鉱山水井鉱山)(徳島県阿南市水井町

由岐鉱山水井鉱山)は、倭國邪馬台國)からの方位は、東微北77°で東北ではなく東の方位となり、東北の記述に合致しません。
一方、和気鉱山の方位は、東北微東61°であり東北に合致します。
文身國にあった水銀鉱山は、和気鉱山であったと憶測します。

文身國12


そして、文身國は、和気鉱山の横を流れる日笠川の流域、もしくはその下流の吉井川流域にあったと憶測します。
和気鉱山から南側の俯瞰図を以下に示します。


和気鉱山


次回は、大漢國を比定します。


(つづく)
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39.大漢國

前回、梁書文身國伝に記述されている文身國は、岡山県東備地域であると比定しました。備前の国の東側です。

今回、梁書大漢國伝に記述されている大漢國の比定地を考察した結果、愛知県名古屋市を含む尾張地域であると憶測するに至りました。

大漢國伝の記述は以下です。

大漢國在 文身國東五千餘里

大漢國は、文身國の東5000里に在る。

文身國岡山県東備地域であると比定しましたが、代表地を瀬戸内市役所と仮定します。1里=53.3mと仮定します。瀬戸内市役所から東の方位、5000里=267kmを見てみます。

5000里

三重県志摩半島愛知県尾張地方が該当します。古代から文明は大きな河川の流域で発祥し、都市が発達してきました。濃尾平野がこの地域の最大の河川の流域です。従って大漢國の比定地は、木曽川流域名古屋市を含めた愛知県尾張地方と憶測するに至りました。

大漢國



邪馬壹國文身國大漢國を地図に示しました。

大漢國2

次回は難解な扶桑國を考察してみます。扶桑國大漢國の東側に在ったとのではと、憶測しています。



(つづく)
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40.仮説

捏造・改竄・誤謬である。古代文献を研究する専門家の中には、記述内容の理解が困難になると安易に、捏造、改竄、誤謬であると考察する方がいらっしゃいます。これはいかがなものかと思います。

合理的な解釈を継続して試みるべきです。記述の解釈に矛盾が生じた場合は、仮説を設定し検証すれば良いのです。
ある記述Aを解明するために、仮説Bを設定したとします。この検証には、他の記述、あるいは公知の事実(定理)から仮説Bが成立するか、しないかを考察するのが検証です。

仮説Bの検証のために、新たな仮説Cを設定する手法をとる研究者の方がいます。そして仮説Cの検証を行い、仮説Cは正しいと結論します。しかし飛躍して仮説Cが成り立つから、仮説Bも成り立つと考察しようとするのです。
これば誤魔化しであり詭弁です。仮説Cが正しくても仮説Bの検証には寄与しないからです。

例を示します。魏志倭人伝の以下の考察です。

* 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月

記述A 投馬國から邪馬壹國水行10日、陸行30日

仮説B 水行10日した後、陸行30日するのではなく、水行+陸行を繰り返し、全行程を合計すると水行10日+陸行30日である
仮説C 起点は投馬國ではなく、帯方郡
仮説D仮説E ....

全行程


* 南至 投馬國 水行二十日。
  南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月


記述A 不彌國からに行くと投馬國に至る。投馬國からに行くと邪馬壹國

仮説B この二つの記述のは、の誤り
仮説C 邪馬壹國にある一大率は、西の誤り
仮説D 陸行30日は。。。

  九州北の海岸から奈良県桜井市への船での最短経路は、関門海峡を南下し、瀬戸内海を東上して大阪湾に到達します。その後大和川を遡上して、大阪府柏原市に行くのが船での最短ルートです。水行20日+10日で30日。九州北の海岸から30日かけて水行します。次は柏原市から陸行して桜井市までいきます。しかし、柏原市から桜井市までは、直線距離で僅か20kmなのです。20kmを陸行30日で行くことを説明するには、新たな仮説が必要となります。

東


どちらの例も記述Aに対する仮説Bの証明が出来ていないのです。
仮説Bの検証を行うと多くの矛盾が発生します。本来は記述Aを説明するために仮説Bを設定したのですが、更なる矛盾に対して、次々に新たな仮説を設定していきます。残念なことに、新たな仮説は証明できないまま放置されているのです。いくら長々と知識を披露しても、仮説が正しいとの結論に至らないのであれば、その考察は一切仮説Bの証明にはなっていないのです。
中学校の数学の証明問題で、このような解答をしたならば、長文の回答であることに対して努力点はもらえるでしょうが、設問に対する解答としての評価は低いと思います。
どこが良くなかったのか。中学校の数学の先生であれば、間違いを指摘することが出来ます。
仮説を立てたことは正しく、検証の方法もそれほど悪くないのです。単に結論が誤っているだけなのです。いろいろ検証しても仮説Bの証明は出来なかったのです。従って結論は、「仮説Bは正しくなかった」とするのが正解なのです。

魏志倭人伝邪馬壹國の比定地の考察にあたり、他の仮説はないのでしょうか。
以下の記述を考察します。

南至 投馬國 水行二十日
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月


記述A 不彌國から南に水行20日すると投馬國に到達する。
    投馬國から南に水行10日、陸行30日すると邪馬壹國に到達する。

仮説は既成概念に囚われることなく自由に設定できます。滑稽無類・荒唐無 稽・笑止千万であっても全く構わないのです。検証の結果、仮説に多くの矛盾が生じれば、仮説が間違っていると結論付ければ良いのです。

仮説B
 20日、10日、1月の記述は誤り。記述を無視する。
あるいは
 20日、10日、1月の記述は移動の日数ではない。1日の移動距離をと仮定し、20日、10日、1月をそれぞれ20X里、10X里、30X里と仮定する。

このような仮説Bを立てて、検証したらいかがでしょうか。

南至 投馬國 水行
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行 陸行


20日、10日、1月を無視した仮説Bを立てます。

日数を無視して魏志倭人伝全体の記述を検証し、矛盾なく邪馬壹國の位置が比定出来たとすれば、その比定地は、仮説Bの元、正しいことになります。「20日、10日、1月は、所要日数ではない」とした仮説Bは確からしいことになるのです。
もし魏志倭人伝の記述を検証してみて、X=A里とするのが最も矛盾がないとの考察に至れば、X=Aは確からしいことになるのです。

命題は、数学的な証明問題なのです。中学の数学の証明問題の解法を押さえず、自説を主張するのは、自らの不勉強を誇張しているように思えます。


一方で魏志倭人伝の記述に対して、の使節団は邪馬壹國を訪問していない。従って邪馬壹國の記述は現地人の伝聞によるもので、曖昧である。と明言する専門家の方がいらっしゃいます。論理に無理があると思います。

魏志倭人伝を含む三国志は、中国・西晋代陳寿により撰集された文書です。陳寿は、蜀漢西晋に仕えた官僚なのです。三国志は、公費を使って撰集された公式文書です。公式文書である以上、記述の一つひとつは、十分に吟味され精査されて記述されているのです。もし曖昧な部分があれば、撰者達は厳しい叱責を受け、懲罰を受けるのです。撰集にあたっては、記録書、報告書などの文書と、官僚、関係者からの伝聞を元にして撰集されたと思われます。つまり、多くの記述は伝聞を元に記述されているのです。どうしても曖昧な記述をせざるを得ない場合は、「曰」と断って記述をしているのです。

書曰  書曰く
評曰  世評曰く


邪馬壹國の記述には、書曰、評曰の注釈はないのです。三国志のなかで、邪馬壹國の記述だけが曖昧であり、正しくないと主張するのは無理筋と思われます。

さて、梁書に記述されている扶桑國の比定は、依然考察中です。
考察でき次第、ご紹介することにします。


(つづく)
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41.扶桑國

その後の考察の結果、記述が正しくないと考え訂正をさせていただきます。(2016.12.1)

amazon.co.jpで、「邪馬台国」で本の検索をすると4336件がヒットします。しかし「扶桑国」で検索すると251件しかヒットしません。しかもそのほとんどは、扶桑國とは関係ない本なのです。もう少し多くの研究者の方々が、梁書の考察にも精励されたらと思う次第です。

梁書卷第五十四列傳第四十八巻東夷伝に記述されている扶桑國を考察します。まずは諸先輩方々が注目すべきと指摘している通り、この東夷伝の序文の記述を考察します。

以下、序文全文を記述します。

東夷之國 朝鮮為大 得箕子之化 其器物猶有 禮藥云
魏時 朝鮮以東 馬韓辰韓之屬 世通中國 
自晉過江 泛海東使有 高句驪百濟
而宋齊閒 常通職貢 
梁興 又有加焉 扶桑國 在昔未聞也 普通中 
有道人 稱自彼而至 其言元本尤悉 故並錄焉

 
東夷の國で朝鮮は大なり。箕子が獲得したところが変化したところである。その器物(調度品)には(箕子が持ち込んだ)祭儀に使用したもの、調薬に使用したものが、今猶有ると云われている。
の時代、朝鮮より東の馬韓・辰韓に帰属(した地域)から、代々中国と通商があった。
もちろんの時代にも、長江を通過して来た、泛海(浮かぶ海?(渤海・黄海))の東からの使者が有った。高句麗・百済からである。
さらに宋・斉の時代の間も常に職貢が通っていた。
が興隆し、また加筆するところが有ります。扶桑國です。昔は未聞 (前代未聞の希代な國) であった。普く(あまねく=もれなく)中国の都と通商があった。 の時代の普通年間(520年から527年)の間に、彼の地から来たと称する道人(仙人の道を極めた人? 僧侶?) がいた。その人の言うことは、昔のことも今のことも悉く(ことごとく)尤(もっと)もである。それ故に(扶桑國も)合わせて記録をする。

扶桑國を記述するに際して、異例の但し書きが序文に記述されていることに注目すべきでしょう。この序文は時代を追って記述されています。以下、時代をまとめました。

  220-265年 
  265-420年 
  420-479年
  479-502年
  502-557年


この序文で気になるのは、の意義です。序文には以下の地域が記述されています。

東夷之國朝鮮馬韓辰韓中國高句麗百済扶桑國

が使われているのは、東夷之國中國扶桑國です。馬韓國辰韓國高句麗國百済國とは表現していないのです。また、にもは付いていないのです。

の時代、高句麗百済は100km四方以上の大きな版図です。それでも高句麗國百済國とは表現していないのです。

ウィキぺディア 高句麗
https://ja.wikipedia.org/wiki/高句麗

高句麗
版図が最大に達した476年頃の高句麗と周辺諸国

の意義は王が治める国家でもなく、あるいは領主が治める藩でもないのです。の意義は決まった境界のある区域、都市で、その範囲は概ね10km四方以下と考えます。10km四方は、東京山手線の内側よりやや広いので、決して狭い都市ではないのです。

二つ目に気になることは扶桑國の存在時期です。序文の記述を見てみましょう。

普通中
 普く(あまねく=もれなく)中国の都と通商があった。


其言元本尤悉
 その人の言うことは、昔のことも今のことも悉く(ことごとく)尤(もっと)もである。

中国のどの時代から扶桑國はあったのでしょうか。

中国の文献を調べてみたところ、の時代、昭王三年(紀元前299年)、前漢の時代、元鼎五年(紀元前115年 )の記述に扶桑が地域として記述されています。

文献は以下のサイトを参照しました。

中國哲學書電子化計劃
http://ctext.org/library.pl?if=gb&res=5879

太平御覧 人事部一十六巻の皮膚伝の記述

王子年拾遺錄: 燕昭王三年 廣延之國 去七萬里 或云在扶桑之東

洞冥記 巻第二 元鼎五年伝の記述

長安東 過扶桑七萬里 有及雲山

これらの記述そのものは怪奇であり信憑性は低いと思われます。しかし紀元前299年、紀元前115年に、中国の東、遥か遠くに扶桑とゆう地域があったと記述されているのです。
この扶桑の地は、梁書に記述されている扶桑國と同じなのでしょうか。


(つづく)
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