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50.扶桑國(その5)

扶桑國の比定をする前に、扶桑について中國の書物から考察することにします。
中國の古代書物を検索するには「中國哲學書電子化計劃」が重宝します。各書物の原本・写本がデジタル化されています。
扶桑」と入力して検索すると、扶桑と記述されている文献の箇所を検索してくれます。

中国哲学電子化計画1


検索だけでなく、書物によってはクリックするとその箇所の写本を閲覧することが出来ます。

中国哲学電子化計画2


また各書物の相違も比較しています。

中国哲学電子化計画3


在宅の研究家にとっては、とてもありがたいサイトです。


1. 論衡 後漢時代 王充 著 80年成立 說日篇

まず最初に論衡の記述を考察します。論衡は、後漢の時代に王充が紀元80年に著した思想書です。この中の說日篇扶桑に関する以下の記述があります。

儒者論 日旦出扶桑 暮入細柳
扶桑 東方地 
細柳、西方野也
桑柳天地之際 日月常所出入之處

儒者が論じるには、朝日は扶桑から出て、夕方細柳に沈む。
扶桑は東の方角の陸地で、細柳は西の方角の原野である。
桑と柳は天地の境界となるところにあり、ここは常に太陽、月が昇り沈むところである。

ここで記述されている扶桑は、土地の名前であることが分かります。その地名は、樹木の桑があることに由来している推測されます。

同じ論衡說日篇には以下の記述があります。

禹貢 山海經言 日有十在海外
東方有湯谷 上有扶桑
十日浴沐
水中有大木 九日居下枝 一日居上枝

禹が献上した山海経が言うには、太陽は海の外に10個ある。
東の方角に湯谷があり、そのところには扶桑がある。
10個の太陽は沐浴している。
水中に大木があり、9個の太陽は下の枝に居て、1個の太陽は上の枝に居る。

こちらに記述されている扶桑は、10個の太陽が宿る水中の大木の固有名詞なのか、扶桑とゆう土地の名前であるのか不明です。
ここで論衡に引用されている山海經を考察してみます。

2. 山海経 戰國 - 漢 (紀元前475年 - 220年) 
   作者不詳 海外東経篇

山海經は、中國戦國時代からの時代に、少しづつ編纂されたと考えられている地理書です。この山海經の中の海外東經篇に、論衡に引用された元の記述があります。

黑齒國在其北
為人黑 食稻啖蛇 一赤一青在其旁
一曰在豎亥
為人黑手 食稻使蛇 其一蛇赤。

黑齒國がその北にある。
人々は黒く、稲を食べ、蛇をむさぼる。赤い蛇や青い蛇がその近傍にいる。
ある説では、豎亥が居住していたところの北にあると云う。
人々の手は黒い。稲を食べるとき蛇を使う。その蛇は赤い。

下有湯谷 湯谷上有扶桑
十日所浴 在黑齒
居水中 有大木
九日居下枝 一日居上枝

下に湯谷があり、湯谷の上に扶桑がある。
10個の太陽が沐浴するところで、黒歯國の北にある。
太陽が居住する水中に大木がある。
9個の太陽は枝の下に居て、1個の太陽は枝の上に居る。

山海經海外東經篇では、海の外の東南から東北の國々の地理が記述されています。
黑齒國の記述に続いて、湯谷、扶桑の記述があります。
湯には入浴、温泉の意味があります。湯谷の意味は、入浴する温かいお湯の谷と推測されます。
湯谷は温泉のある谷とも考えられますし、土地の名前を表すとも推測できます。
扶桑は、その湯谷にある10個の太陽が居する大木の名前であると推測されます。
しかしながら、扶桑の樹は、どこにでもあるわけではなく、
10個の太陽が居する場所にあり、それは一箇所しかないと考えられるので、扶桑のある土地の名前を扶桑と考えても差し支えないと推測します。
この山海經でも論衡でも、扶桑とゆう樹木も、湯谷の場所もお伽噺、伝説の域を超えていないように憶測します。
しかしながら黒歯國とそれほど離れていない場所にあると考えられていたと推測されます。

扶桑に関して、より具体的に記述されている書物が、金樓子十洲記です。次はこれらを考察します。

3. 金樓子 南北朝時代(554年)  蕭繹 著 志怪篇

金樓子は、の時代の554年に蕭繹により執筆された集書です。

秦王徐福 求桑椹 
於碧海之中 海中止有扶桑樹
長數千丈 樹兩根同生 更相依倚 是名扶桑
仙人食其椹 而體作金光 飛騰天宮也

秦王は、徐福を派遣して桑の実を探させた。
青色の美しい海のなかに、海中に踏み止まっている扶桑の樹を見つけた。
樹林は長さ数千丈(数km)に渡り、樹と根の両方が同じに生えていて、それぞれが寄りかかっている。このことより、名を扶桑とゆう。
仙人はこの桑の実を食べる。すると体が金色に光る。天空に登り詰めることができる。

徐福始皇帝に探検の上申をしたのが、史記始皇帝28年(紀元前219年)と記述されています。
しかしこの年に実際に海を越え探検に出たのかは定かではありません。
それはともかく、徐福が、探検に出た頃には山海経は編纂されていたと憶測します。
お伽噺・伝説であった扶桑の樹が、徐福の探検により具体的になります。
水面に生え、根が地表に出ている様は、マングローブの林のような光景が思い浮かびます。

マングローブ

この記述は、実際に徐福が視察した状況を描写しているのか、あるいは伝説を元に想像で描写したのか明らかではありません。
もっとも、金樓子徐福が探検に出た頃から900年くらい後に執筆されたので、ある書物を元に集書されたと思われます。

時代は遡りますが、十洲記金樓子の記述とよく似た記述があります。続いてこれを考察してみます。


4. 十洲記 紀元前154年 - 紀元前92年  東方朔 著

十洲記は、東方朔が執筆した地理書で、前漢の時代、紀元前100年頃に編纂されたとされています。徐福が探索に出てから100年後くらいの書物です。この中に扶桑に関して詳しい記述があります。

扶桑在東海之東岸 岸直 陸行登岸一萬里 東複有碧海
海廣狹浩汗 與東海等
水既不咸苦 正作碧色 甘香味美

扶桑は、東の海の東岸に上陸し、東に陸行1万里したところにあり、またそこには青い海がある。
東の海などと比べると海の広さは狭く、干潟が広大である。
水は今では塩辛くも苦くもなく、正しく緑碧玉色をしていて、甘い匂いがして味は美味しい。

扶桑在碧海之中 地方萬里
上有太帝宮 太真東王父所治處。

扶桑は青緑の海の中にあり、面積が1万里。
そのところに太帝宮があり、太真東王父が統治したところである。
中國の西方には、太真西王母がいたと謂われています。)

地多林木 葉皆如桑 又有椹
樹長者數千丈 大二千餘圍。
樹兩兩同根偶生 更相依倚 是以名為扶桑
仙人 食其椹 而一體皆作金光色 飛翔空玄
其樹雖大 其葉椹 故如中夏之桑也
但椹稀而色赤 九千歲一生實耳 味絕甘香美
地生紫金丸玉 如中夏之瓦石狀
真仙靈官 変化萬端 蓋無常形 
亦有能分形 為百身 為十丈者也

その地に樹林が多く、葉は全て桑のようである。また桑の実を持ったものもある。
樹林の長いものは数千丈(数km)、大木が千余りで周りを囲んでいる。
樹は二つの樹が同じ根から対になって生えていて、更にそれぞれ寄りかかっている。このことから扶桑の名となった。
仙人はその桑の実を食べる。するとみんな、体全体が金色に光り、天空を飛び回る。
その樹は大きいが、その葉と実は中國の桑のようである。
ただし、実はまれに赤く色づく。9、000年に一回実がなるだけである。味はとても甘く香りがよい。
その地では、中國で瓦石を採るが如く、紫磨黄金の丸玉が採れる。
真官仙霊は、全てのものに変化できる。定まった形がないからだ。
また分身する能力があり、100身になることも、背丈30mになることもできた。

扶桑に関して、かなり具体的に記述されています。
また金樓子十洲記の記述はよく似ています。相違は、金樓子は、徐福扶桑を探検したように記述されていますが、
十洲記には、扶桑徐福の関連はありません。
金樓子十洲記の記述は、一方にしかない記述が双方にあるので、それぞれに共通する元になる書物があったのではと推測されます。

徐福は探検にでて、中國には戻らなかったといわれています。
とすると元になる書物は、徐福の探検に同行した数千人のなかの人が、中國に戻り報告した内容を記述した書物があったのではと憶測します。

十州記の記述を考察してみます。

中國の東の海を渡り大地に上陸します。
そこから東に陸行万里のところに扶桑があると記述されています。
十州記には、20万里とか30万里のところに○○國がある、のような記述があります。
東の海から上陸して万里とゆうのは、扶桑は、かなり近いところにあると認識されていたと推測します。

魏志倭人伝に記述されている帯方郡から邪馬壹國までの距離は、1万2000里です。もちろん距離の基準は同じではないでしょうが、1万里とゆうのはもちろん遠いですが、到達可能な距離なのです。
ただ、陸行1万里とゆうとそれなりに大きな陸地です。台湾九州北海道は、陸行1万里には小さいと推測します。該当するとすれば、日本列島本州です。

東の海と比べるとその海は狭く、広大な干潟がある。その水は塩辛くない。
ここでの東の海は、東シナ海、日本海を指していると推測します。

本州で大きな干潟があったと考えられるのはどこなのか。

紀元前200年頃は、河川も海岸も十分な護岸工事はされていなかっただろうし、干潟の埋め立てもされず、天然のままであったと憶測します。
標高の低い現在の平野は、古代は海もしくは干潟であったと憶測します。
これを推測するためにFlood Map+9mに設定して本州を眺めてみます。
+9mで広大な干潟となるのは、西から広島平野岡山平野大阪平野濃尾平野新潟平野関東平野庄内平野秋田県八郎潟津軽平野仙台平野です。

干潟


ただし、東の海から陸行1万里の距離にあることより、日本海側は該当しなくなります。
干潟の水が塩辛くないとすると、干潟には水量の豊富な河川が流れ込み、河口には大きな湾が必要です。
これらから、大阪平野、濃尾平野、関東平野が考えられます。
しかし、扶桑は日が昇るところです。
干潟の東側に標高の高い山が無い、関東平野扶桑に一番合致します。

大阪平野

濃尾平野

関東平野


扶桑の樹については、神異經により詳しく記述されています。

5. 神異經 紀元前154年 - 紀元前92年  東方朔 著

神異經は、古代の神話を編纂したもので十洲記と同じく、東方朔が執筆しました。
これを検討します。

東方有桑樹焉 高八十丈 敷張自輔 
其葉長一丈 廣六七尺 
其上自有蠶 作繭長三尺 繰一繭 得絲一斤
有椹焉,長三尺五寸,圍如長。

東方に桑樹がある。高さ200m。敷地に自分で支えを張りめぐらす。
葉の長さは250cm、幅は150-175cm。
その上には蚕がいる。長さ75cmの繭を作る。一つの繭を手繰ると225gの絹糸を得ることが出来る。
桑の実がなり、長さは88cm、両手を伸ばして抱えるくらい長い。

桑樹の高さは200m。200mといえば45階建ての高層ビルの高さです。
まるで新宿の高層ビル群のように、高さ200mの桑樹が林立していて、畳2枚分より大きい葉を付け、抱き枕くらいの長さの実を付けるとゆうのは、少し誇張していると憶測します。
10分のないし、20分のくらいが現実的な長さです。
高さ20m。葉の長さ25cm幅15-17cm。繭の大きさ7.5cm。この桑の実の長さcm。
これでもびっくりするくらい大きな桑樹です。

徐福が探検に出たのは紀元前219年頃です。この徐福の探検を記述している古い書物は史記です。史記が編纂されたのは紀元前91年頃で、徐福が探検に出た100年後です。

扶桑に関して記述している古い書物は、山海経楚辞です。いずれも戦国時代(紀元前403年~紀元前223年)に編纂されたといわれています。こちらは徐福が探検に出る前です。

徐福は、海の外に蓬萊、方丈、瀛洲の3つの神山があり、ここに不老不死の薬である神薬があると上申して探検に出ます。伝説の蓬萊山の印象を元に探検したのでしょう。
徐福は、扶桑に仙人が住み、そこに神薬があるとは考えていなかったと推測します。
ところがあるところに到達したとき、伝説の扶桑の記述に酷似しているところを見つけたと憶測します。

日が昇るところに近い場所に、広大な干潟があり、ここにマングローブ状に生息する大きな桑の樹林があった。
まさに扶桑の記述に一致します。
干潟の水は湯谷のように熱くはなかったでしょうが、二つの樹が寄り添うように生えていることから、扶桑と呼ぶに相応しい。大そう感激したと憶測します。

そして、この地を扶桑と指定し、伝説の大真東王父の都と決定したのでしょう。
求めていた神薬は、この桑の樹の実であると嘯いたと憶測します。
桑の実は、はじめ白く、だんだん赤くなり熟すると黒くなります。もちろん毎年実がなります。
これでは、桑の実を神薬として持参して、始皇帝の元に帰らなければならないし、その実が神薬としての効能がないことも露見してしまいます。
そこで神薬である桑の実は9000年に一度しか実がならないと、お伽噺を作ったのでしょう。
さらに、扶桑と命名した桑の樹の大きさを極端に誇張することも忘れなかったのです。

扶桑に関する内容は、極めて疑わしいことから史記をはじめとする正史には、長い間記述されませんでした。
しかし、の時代の520-527年に、扶桑國から来た道人の云うことが、現在のことも、昔のことも悉く、尤もであるとして、その100年後の629年に修史された梁書に記述されることになります。
実に、徐福扶桑に辿り着いてから800年以上後に、ようやく扶桑國が認知されるのです。

さて、徐福が辿り着いた扶桑國は、関東平野の可能性があると憶測するのですが、次回、これを考察します。


つづく

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